お江戸の学校

江戸検1級を取って学んだ「江戸の歩き方」「偉人達の生き様」を紹介します。歴史好きはもちろん、歴史が苦手な人にも楽しくわかりやすくお伝えします。

家康の息子自慢

こんにちは。

お江戸夫の大輔です。

今回は徳川家康の自慢の息子達を紹介します。

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家康には11人の息子達がいますが
彼らを産ませた者も含め側室の数は
なんと19人!!

天下を治めた男は違いますね。

ちなみに正室は二人いましたが、
子供はいませんでした。

まずは長男の信康。
非常に有能だったと言われていますが、
織田信長も巻き込んで家康と上手く
いっていなかったようで自害しています。

次男の秀康は正室築山殿の侍女との
間の子のため隠し子として扱われましたが、
立派に越前国北ノ庄藩初代藩主になりました。

三男秀忠はご存知の通り、二代目将軍です。

四男忠吉と五男信吉は
それぞれ尾張と水戸を領しますが、
跡取りができる前に若くして早世。

六男忠輝は『北陸道の旗頭』として
越後国高田に城を築きました。

七男松千代、八男仙千代は
幼少期に亡くなっています。

九男義直は四男忠吉の後、尾張藩主となり、
十男頼宣は水戸藩主を務めた後、紀州藩主に、
十一男頼房は十男頼宣の後、水戸藩主に
なっています。

こうして尾張、水戸、紀州の御三家は
生まれました。

どうしても二代将軍の秀忠に
脚光が当たりがちですが、
どの息子も立派に創成期の江戸時代を
支えました。