お江戸の学校

江戸検1級を取って学んだ「江戸の歩き方」「偉人達の生き様」を紹介します。歴史好きはもちろん、歴史が苦手な人にも楽しくわかりやすくお伝えします。

悲運の綱吉ブレーン達

こんにちは。

お江戸夫の大輔です。

将軍の手足となって政治を動かしたのが、
大老、老中、側用人といった役職の人ですが、
表舞台で活躍する花形的な存在でありながら、
実は多くの苦労も抱えていました。

今回は、悲運の綱吉ブレーン達に
ついて書きます。

まず一人目が『堀田正俊』。
正俊は義理の曾祖母に3代家光の乳母春日局
持つこともあり綱吉に重用され大老にまで
出世した人物です。

順風満帆にみえる人生ですが、
最後は治水事業の際、従叔父で美濃青野藩主の
稲葉正休恨みを買われ江戸城内で起こった
刃傷事件に巻き込まれて殺されてしまいます。

二人目は『柳沢吉保』。
綱吉の館林藩主時代に一藩士から取り立てられ
将軍綱吉の側用人まで出世した人物。

頭キレキレの綱吉の右腕として
有名な吉保ですが綱吉が吉保邸に訪れると
吉保の側室の染子が
妊娠すると言われていました。

実際に、染子の子でのちの
2代甲府藩主柳沢吉里は綱吉の息子と
言われています。

そして三人目は『牧野成貞』。
成貞は綱吉とは上野館林藩からの付き合いで
重用された人物です。

しかし、綱吉は成貞の妻・阿久里を
自らの寝所に誘いれ寝取られてしまいます。

さらに、娘の安子も綱吉に気に入られ
母娘共に寝取られてしまう始末…。

しかし、一館林藩家老から将軍の側用人
取り立ててもらった恩から何もできずじまい。

悲しすぎる…。

堀田正俊も悲運ですが、
愛する女性を権力者に寝取られた
柳沢吉保も牧野成貞の気持ちを思うと
切なすぎる。

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それにしても、
綱吉の『権力をまとった性欲』…
恐るべし。