上水道造りの功労者は実は…
こんにちは。
お江戸俥夫の大輔です。
今回は江戸の上水道造りに貢献した
影の功労者の紹介をします。
その人物は『大久保忠行(ただゆき)』。
それまでの江戸橋綺麗な水が
入って来ない場所でした。
忠行は幕府の名を受け井の頭の池から
流れる川を目白台下(現文京区関口)の辺りで
堰を築き、その川の流れを神田方面に変え
江戸に水を届けた人物です。
これが神田上水の始まりです。
この功績により忠行は
家康より『主水』という
名前を与えられます。
主水は『もんど』と読みますが
忠行の場合は水が濁らないように
『もんと』と読むそうです。
そんな偉大な功績を残した
主水こと忠行ですが、
実は本職は『お菓子職人』!!
三河の時代から家康に使える武士でしたが、
歩けなくなりお菓子作りを学びました。
お菓子作りでも家康の信頼を勝ち得、
陣営に茶菓子を献上する『菓子司』と
なりました。
毒殺を警戒して献上された物に
一切手をつけなかった家康は
唯一忠行の作った菓子は食べたというほど
家康は忠行のことを信頼していました。
その後の子孫も『大久保主水』と名乗り
幕府御用達の菓子司として
幕末まで徳川に仕えたそうです。
人って色んな側面、色んな才能があるから
面白いって思います。