お江戸の学校

江戸検1級を取って学んだ「江戸の歩き方」「偉人達の生き様」を紹介します。歴史好きはもちろん、歴史が苦手な人にも楽しくわかりやすくお伝えします。

巌流島の決闘の陰の立役者

こんにちは。

 
お江戸夫の大輔です。
 
『巌流島の決闘』
歴史通のあなたならよくご存知の方でしょう。
 

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宮本武蔵豊前国小倉(現在の福岡県小倉)の
剣の達人佐々木小次郎に決闘を挑んだ話です。
 
内容は武蔵が当日決闘の予定時間より
約2時間も遅れて来たことに小次郎は苛立ち、
心の動揺を誘い武蔵が小次郎を倒しました。
 
講談、浄瑠璃、歌舞伎、時代小説などで
語られる有名な話ですが、
なぜ一介の浪人武蔵が小倉の道場持ちの
小次郎に公に勝負を挑めたのでしょうか?
 
やはり、キーパーソンがいました。
その男の名は『松井興長(おきなが)』です。
 
興長は小倉藩の家老で無二斎(むにさい)
という室町幕府十五代将軍足利義昭から
『日下無双兵法術者』という称号を賜った
兵法の達人の門徒でした。
 
その無二斎がなんと、
武蔵の養父だったのです。
 
尊敬する師匠の息子の願いとあれば、
受け入れてしまうのにも無理はありません。
 
こうして、松井興長の計らいによって
巌流島の決闘が実現したのです。
 
やはり、持つべきものは
人との繋がりですね。
 
人との繋がりなくして
物事は大きく動きません。