お江戸の学校

江戸検1級を取って学んだ「江戸の歩き方」「偉人達の生き様」を紹介します。歴史好きはもちろん、歴史が苦手な人にも楽しくわかりやすくお伝えします。

赤穂浪士討ち入りの日

こんにちは。


お江戸夫の大輔です。

12月24日はクリスマスイブですが
12月14日は何の日かご存知でしょうか?

f:id:dadadadadicek:20180601215939j:plain


その日は赤穂義士の吉良邸討ち入りの日です。

今でも、その日には浅野家の菩提寺である
泉岳寺の義士祭など、各地で赤穂浪士
まつわる様々なイベントが催されています。

では一体、12月14日を討ち入りの日に
決めたのは何故でしょうか?

その謎を握るのが『大石三平(みつひら)』
です。

三平は直接的に仇討ち活動に
参加はしませんでしたが、
大石内蔵助の一族として、
赤穂浪士達を陰ながら支援した人物です。

三平はまた茶道を志していて、その宗匠
山田宗遍(そうへん)でした。

その宗遍の三平と同じ弟子として
学んでいたのが中島五郎作という
材木問屋で三平とも親しい仲でした。

その五郎作ところには、
江戸で神道や歌道を教える羽倉斎宮(いつき)
が借宅していました。

その羽倉斎宮は吉良邸にも出入りをしていて
この羽倉は12月14日に吉良邸で
茶会があるという情報を入手し、
それが五郎作つてで三平へと伝わったのです。

そして、三平は赤穂浪士
吉良邸の茶会情報伝えることとなったのです。

やはり、情報はあらゆる方向から
人づてによって運ばれてきます。

秘密情報の管理は敵だけじゃなく
味方にも気をつけなければなりません。

ちなみに羽倉斎宮
後に国学の先駆として有名になる
荷田春満(かだのあずままろ)』です。