赤穂四十七士は本当は?
こんにちは。
お江戸俥夫の大輔です。
赤穂浪士と言えば、
『四十七士』と答えるのが普通でしょう。
しかし、切腹覚悟の討入りで
志士達の心も動揺し直前で
些細な人数の変動がありました。
実は本当は討入り直前まで
『四十七士』ではなく『四十八士』
だったのです。
あえなく抜けることになったのは
『毛利小平太』です。
小平太は討入りギリギリまで
吉良邸内部の情報を探った人物ですが
最後は兄の反対を受けて逃れることに
決めました。
また実際に討入りに入ったのは
本当は『四十七士』は『四十六士』
だったこともわかっています。
なんと討入り直前で『寺坂吉右衛門』
が恐怖のあまり逃げ去りました。
無事吉良の首を挙げることができたものの
毛利小平太や寺坂吉右衛門を統率できなかった
やはり命懸けの仕業には
命懸けの決意が必要ですね。