下級武士の生き様
こんにちは。
お江戸俥夫の大輔です。
東京は京都と違って
空襲や地震などの影響により
あまり昔の建造物が残っていません。
しかし、実は地名を見ることで
当時そこがどんな場所だったかがわかります。
例えば、『お台場』
幕末に異国を追い払うために
幕府が造った『砲台』があった場所です。
『蔵前』は
幕府の『米蔵』があった場所です。
そして『御徒町』
下級武士の『御徒』達が共同生活を
していた場所です。
前置きが少し長くなりましたが
今回は『御徒』について書きます。
御徒とは、歩兵の様なもので
戦へ行く時や将軍が遠出をする時などに
護衛のため付き添う人達です。
情勢が不安定だった江戸時代初期は
それなりに仕事はあったでしょうが
それ以降はなかなか仕事がありません。
副業として『花の栽培と品種改良』を
やってしまうほど、武士としては
生きていくのが難しかったようです。
しかし、そんな御徒でも
大出世をした希望の星が2人いました。
御徒から勘定奉行という高官に出世しました。
2人目が『榎本武揚(たけあき)』です。
函館五稜郭に立て篭もり
最後まで新政府軍に対抗し続けた人物です。
どんなに今が苦しくたって
希望を持って努力をし続けたいですね。