『白牛』に跨る反吉宗の男
こんにちは。
お江戸俥夫の大輔です。
名古屋に破天荒な男がいました。
その男はいつも白い牛にまたがり、
真っ赤な装束を着て、
2間(約360cm)の長いキセルの先端を
茶坊主に持たせて町中を行きました。
その男は尾張藩7代藩主
『徳川宗春』です。
破天荒なのは
見た目だけではありません。
世間が『節約志向』に傾いていたこの時代、
真っ向からそれに反対するような政策を
掲げました。
例えば、『風俗開放政策』。
これによって名古屋は
役者、芸人、芸者、遊女達が集まり
芝居興行や遊郭が増え
町は一気に華やかになりました。
参勤交代のお国入りの際も
駕籠に乗らず馬に跨り
虎の羽織を着ていました。
さらに、家臣たちも
想い想いの派手な装束をまとい、
みんな花笠を被っていたそうです。
これには流石に将軍吉宗の目にも止まり
自粛を求められるも反抗し
蟄居謹慎処分を受けてしまいました。
実は幕府によって処分されたのは
御三家当主はこの宗春と
しかも、宗春は死んでからも
その罪は許されず没後75年もの間
墓石には金網がかけたままという扱い…。
ある意味で名を残すレジェンドです。