お江戸の学校

江戸検1級を取って学んだ「江戸の歩き方」「偉人達の生き様」を紹介します。歴史好きはもちろん、歴史が苦手な人にも楽しくわかりやすくお伝えします。

将軍の避難場所

こんにちは。


お江戸夫の大輔です。

江戸城本丸内には表・中奥・大奥を含め
多種多様な目的の部屋があります。

その中でも中奥の御休息之間前の
中庭中央部に『地震之間』
という空間があります。

そこは将軍の避難場所
と言われています。

江戸時代から地震対策がされていたなんて
流石地震大国日本!と、褒めたくなるほど
ですが地震之間を設置するキッカケが
ちゃんとありました。

f:id:dadadadadicek:20180613230430j:plain


そのキッカケは
元禄16(1703)年12月23日午前2時頃、
相模トラフを震源南関東一円を襲った
マグニチュード8クラスの『元禄地震』です。

この地震で川崎・神奈川・藤沢・平塚などの
宿場は壊滅状態になり、
小田原も地震後の火事で町の大半が
消失しました。

江戸でも本所・神田・小石川辺りの
家屋が倒壊しました。

これを教訓に翌年正月には
登城した大名や家臣の避難場所を示した
地震の触書を初めて出しました。

地震之間』を設置したのも
この教訓にあります。

こうやって、日本人は少しずつ
地震対策を学んでいったのですね。

きっとこれからも
発展していくのでしょうね。