将軍の避難場所
こんにちは。
お江戸俥夫の大輔です。
江戸城本丸内には表・中奥・大奥を含め
多種多様な目的の部屋があります。
その中でも中奥の御休息之間前の
中庭中央部に『地震之間』
という空間があります。
そこは将軍の避難場所
と言われています。
江戸時代から地震対策がされていたなんて
流石地震大国日本!と、褒めたくなるほど
ですが地震之間を設置するキッカケが
ちゃんとありました。
そのキッカケは
元禄16(1703)年12月23日午前2時頃、
この地震で川崎・神奈川・藤沢・平塚などの
宿場は壊滅状態になり、
小田原も地震後の火事で町の大半が
消失しました。
江戸でも本所・神田・小石川辺りの
家屋が倒壊しました。
これを教訓に翌年正月には
登城した大名や家臣の避難場所を示した
地震の触書を初めて出しました。
『地震之間』を設置したのも
この教訓にあります。
こうやって、日本人は少しずつ
地震対策を学んでいったのですね。
きっとこれからも
発展していくのでしょうね。