お江戸の学校

江戸検1級を取って学んだ「江戸の歩き方」「偉人達の生き様」を紹介します。歴史好きはもちろん、歴史が苦手な人にも楽しくわかりやすくお伝えします。

江戸文化歴史検定関連

秘伝??江戸検1級合格方法

メリークリスマス!! お江戸車夫の大輔です。 今回はクリスマスということで。。。 僕の江戸検1級の勉強方法をプレゼント致します!!笑 ただ残念ながら、 これを全てこなした所で 合格できるかわかりません。。。 なぜなら「出題範囲」を見たらわかります…

江戸検1級合格しました。

こんにちは。 お江戸俥夫の大輔です。 久しぶりの投稿になってしまいました。 実はその間、江戸文化歴史検定一級の勉強をして、その結果を待っておりました。 結果は… 84点でなんとか合格できました!! 毎年4〜5%くらいの合格率なのですが、今年はどれほど…

江戸のファッションリーダー

こんにちは。お江戸俥夫の大輔です。江戸のお洒落な女性達にとって茶屋の看板娘、花魁、女形役者は流行を創り出すファッションリーダーでした。勝山髷や島田髷といった髪型や吉弥結といった帯結びも花魁や女形役者が創ったファッションの一つです。その中で…

プレゼントはラクダ♡

こんにちは。お江戸俥夫の大輔です。文政7(1824)年、両国橋の西詰の辺りで『ラクダの見世物興行』が行われました。札銭(入場料)は32文(800円ほど)で1日多い時で5000人もの人が集まる盛況ぶりでした。このラクダを日本に持ってきたのは当時の長崎オラン…

江戸のマッド・ドクター

こんにちは。お江戸俥夫の大輔です。医療の発展によって大幅に人類は寿命を延ばしてきました。そしてこれからも更なる発展によってもっと多くの人が健康に生きられる世の中を誰もが望んでいると思います。しかし、江戸時代の医療の発展はまさに命懸けの業で…

お江戸の不倫騒動

こんにちは。お江戸俥夫の大輔です。テレビをつけるとワイドショーでは芸能界の不倫騒動で持ちきりなんて事よくありますよね。江戸時代、不倫は想像以上の大罪でした。なんていったって町奉行所に突き出されれば『極刑』つまり死罪が科せられましたから。し…

江戸まで名を轟かせた京美人

こんにちは。お江戸俥夫の大輔です。18世紀中期、江戸の女性の間では『櫛まき』という髪型が流行っていました。この髪型は浅草寺境内にあった髪結の湊屋お六という者が京都祇園の茶屋女主人『梶(かじ)』の髪型を参考にしたと言われています。梶はその美貌…

吉原の魅力

こんにちは。お江戸俥夫の大輔です。『悪所』と言われた吉原が江戸時代から現在に至るまで男女問わず魅了し続けた理由は『浮世離れ』にあると思います。江戸市内では当たり前のことが吉原遊廓内では通用しません。その一つが『贅沢』です。江戸市内は贅沢が…

恋人募集中!!?

こんにちは。お江戸俥夫の大輔です。素敵な異性との出会いが欲しい!!そんな方々も多いのではないでしょうか?吉原の多くの遊女達も同じく願いは『素敵な男性に身請けされる事』でした。しかし、その想いとは裏腹に遊女の身請け金はとっても高額です。人そ…

花魁に学ぶ営業術

こんにちは。お江戸俥夫の大輔です。美容室や飲食店などのサービス業における悩み・関心事の一つに『リピーター戦略』があげられると思います。新規でお客様に来ていただくのはとーっても大変な事です。ですので多くのサービス業にとって一度来ていただいた…

咳を治すには◯◯

こんにちは。お江戸俥夫の大輔です。やっぱりJAPANと言えば『Mt.Fuji』ですよね。日本のシンボルとも言える富士山はいつも堂々と穏やかに日本中を見守るように聳えています。しかし、そんな富士山も元々は活火山です。時々ある噴火は日本中が大騒ぎでした。…

将軍の避難場所

こんにちは。お江戸俥夫の大輔です。江戸城本丸内には表・中奥・大奥を含め多種多様な目的の部屋があります。その中でも中奥の御休息之間前の中庭中央部に『地震之間』という空間があります。そこは将軍の避難場所と言われています。江戸時代から地震対策が…

江戸の永久欠番

こんにちは。お江戸俥夫の大輔です。『喧嘩と火事は江戸の華』そんな江戸の人々を火事から救ったのがあの時代劇ドラマで有名な『大岡越前』こと大岡忠相(ただすけ)によって組織された『町火消』でした。町火消は隅田川より西を『いろは四十七組』が東を『…

箸で家を建て糞で壁を塗る!??

こんにちは。お江戸俥夫の大輔です。江戸っ子の気質と言えば、『細かいことはきにしない』。では、なぜこのような気質が江戸で育ったのでしょうか?それは『火事』にあると言われています。『喧嘩と火事は江戸の華』と言われるほど江戸は火事の多い街で江戸…

一生に一度は行ってみたい

こんにちは。お江戸俥夫の大輔です。一生に一度は行ってみたい場所はありますか?サクラダファミリア、モルディブ、ウユニ塩湖などなど、色んな憧れがあると思います。江戸時代、誰もが一度は行ってみたい場所は『伊勢神宮』でした。老若男女貧富問わず様々…

谷中感応寺はなぜ天王寺に改名したか?

こんにちは。お江戸俥夫の大輔です。今回は谷中にあった『感応寺』が江戸後期に入って以降、『天王寺』に改名させられてしまった理由に迫ります。すみません。かなりマニアックですね。谷中の感応寺は『江戸の三富』の一つで江戸時代の宝くじである『富くじ…

『白牛』に跨る反吉宗の男

こんにちは。お江戸俥夫の大輔です。名古屋に破天荒な男がいました。その男はいつも白い牛にまたがり、真っ赤な装束を着て、2間(約360cm)の長いキセルの先端を茶坊主に持たせて町中を行きました。その男は尾張藩7代藩主『徳川宗春』です。破天荒なのは見た…

Welcome to 江戸城!

こんにちは。お江戸俥夫の大輔です。江戸城は武家のもので一般の町人が入れる場所ではありませんでした。しかし年に一度だけ江戸城内に入れる日がありました。それが『町入御能』の日です。これは江戸中の家主を江戸城の大広間に呼んで能を見物させるイベン…

下級武士の生き様

こんにちは。お江戸俥夫の大輔です。東京は京都と違って空襲や地震などの影響によりあまり昔の建造物が残っていません。しかし、実は地名を見ることで当時そこがどんな場所だったかがわかります。例えば、『お台場』幕末に異国を追い払うために幕府が造った…

ニセモノですが何か?

こんにちは。お江戸俥夫の大輔です。今でこそ『著作権』があるためデザインや音楽を模倣するとすぐに訴えられてしまいます。しかし、江戸時代はそんなものは存在せず比較的自由に作品の模倣が行われていました。というわけで今回は江戸の贋作絵師達をご紹介…

大晦日くらいは許して♡

こんにちは。お江戸俥夫の大輔です。最近お仕事忙しいですか?本当に目が回るほど忙しい日ってありますよね。江戸時代にも一際忙しく仕事をしていた職がありました。それは江戸城内だけでなく城外までの治安を守る『目付』です。しかも、10人程の人数で…。目…

細川宗孝?間違えました…

こんにちは。お江戸俥夫の大輔です。平和な江戸時代において、巷の事件や名門のお家騒動など庶民の関心をさらう格好のネタでした。その中でも世間を騒がせたのが江戸城内での刃傷事件です。浅野内匠頭の吉良上野介に対する刃傷事件を筆頭に、 稲葉正休や佐野…

夢は将軍の奥様!

こんにちは。お江戸俥夫の大輔です。今回はちょっと将軍の奥様である御台様のお小遣い事情に迫ります。時代によって多少の変動はありますが、寛政元(1789)年の御台様の合力金(お小遣い)はなんと5,000両!で、さらに1,000両は貸付金にして利子を上納して…

将軍の暇つぶし♡

こんにちは。お江戸俥夫の大輔です。天下の将軍とは言え、時にお城暮らしと退屈。鷹狩りをしたり、浜御殿で船遊びや釣りを楽しみたくても一人で出掛けることもできません。そんな退屈なお城暮らしを少しでも楽しくしようと変わった遊びを見つけ出した将軍が…

目安箱の中身を見てはいけません。

こんにちは。 お江戸俥夫の大輔です。 『目安箱』という制度は 聞いたことありますか? 八代将軍吉宗が庶民からの意見を聞こうと 江戸城辰ノ口評定所前(現東京駅北口付近) に設置した意見箱のことです。 実際に吉宗は、庶民の意見を参考に 小石川養生所(…

江戸最大の画派狩野家

こんにちは。お江戸俥夫の大輔です。江戸の名門かつ最大の画派といえば『狩野派』ですが、一口狩野派と言っても細かく分かれています。大きな違いは、将軍にお目見えできる『奥絵師』とお目見えできない『表絵師』です。表絵師の狩野家の数は駿河台狩野家、…

赤穂四十七士は本当は?

こんにちは。お江戸俥夫の大輔です。赤穂浪士と言えば、『四十七士』と答えるのが普通でしょう。しかし、切腹覚悟の討入りで志士達の心も動揺し直前で些細な人数の変動がありました。実は本当は討入り直前まで『四十七士』ではなく『四十八士』だったのです…

赤穂浪士討ち入りの日

こんにちは。お江戸俥夫の大輔です。12月24日はクリスマスイブですが12月14日は何の日かご存知でしょうか?その日は赤穂義士の吉良邸討ち入りの日です。今でも、その日には浅野家の菩提寺である泉岳寺の義士祭など、各地で赤穂浪士にまつわる様々なイベント…

飢饉の中のヒーロー

こんにちは。お江戸俥夫の大輔です。農作物に頼っていた江戸時代、気候変動や災害による凶作や飢饉が何度も起こりました。特に三大飢饉と言われる享保、天明、天保の飢饉では大勢の餓死者を出しました。しかし、そんな苦境の中、利他の精神を貫き後世に名を…

武士の美学『殉死』

こんにちは。お江戸俥夫の大輔です。主君に忠誠を誓う武士の美学の一つに『殉死(じゅんし)』があります。主君が亡くなった後を追って、自分も切腹して果てることです。有名なものを挙げると…熊本藩主細川忠利(ただとし)が亡くなった際に19名が、佐賀藩主…