長州ファイブゆかりの地
萩市主催の「長州ファイブゆかりの地を巡るツアー」に参加してきました。
主に時代背景は明治維新後だったので、
知らないこと、というかティープ過ぎる内容でかなり楽しめました。
まず、長州ファイブについて少し説明すると。。。
長州ファイブは幕末に長州藩を脱藩し、
横浜から上海、そしてイギリスへと
西洋の最先端技術を学びに行った
5人の事を指します。
その5人とは…
・初代総理大臣、伊藤博文
・初代外相、井上馨
・鉄道の父、井上勝
・工学の父、山尾庸三
・貨幣局長、遠藤謹助
です。
今回のツアーでは東京、横浜にある
彼らゆかりの場所を巡りました。
まず、待ち合わせしたのは
東京駅丸の内駅前広場内井上勝銅像
大正3年に建てられましたが、
戦時中の金属供出や、東京駅舎の工事などのため再三撤去されていましたが、
平成29年、萩市からの懇願もあり再び設置されることになりました。
次に向かったのが、
旧新橋停車場です。
日本最初の鉄道は明治5年に品川~横浜間に仮開業した後、
同年9月に起点駅となる新橋停車場の開業に伴い正式開業を果たしました。
現在のものは、平成3年の発掘調査の際
見つかったプラットフォームや駅舎の礎石の上に復元されたものです。
開業式には鉄道の父・井上勝はもちろん、
明治天皇もお越しになったそうで
日本の鉄道に対する本気ぶりが伝わります。
続いて
国会議事堂にある初代総理大臣伊藤博文銅像
に会いに行きました。
しかし、すみません。
撮影できる場所が限られすぎていたため
博文さんの銅像の写真は撮れませんでした。
さあ、まだまだ移動します。
続いて工部大学校跡碑です。
すみません。
ここもバスから見ただけなので
写真はないです。汗
工学の父・山尾庸三の建議を受け、
日本の工学技術教育を目的として建てられた学校です。
当時日本にはまだ工学はなく
周囲からも「工学のない日本で学校を作る必要はない」と
反対をされていたそうです。
しかし、庸三は
「人を作れば、必ず日本の工学を作ってくれる人が現れる」
という旨のこと言い
この学校を作ったそうです。
明治維新期の日本人の近代化に向けた
熱意は凄まじいです。
食事は八芳園です。
長州ファイブの一員ではありませんが、
ここも実は萩出身の実業家である
久原房之助が所有した土地だそうです。
現在にも残る大手企業の設立に関わった人物です。
日本列島の端っこにある、あんな小さな街から
本当にたくさんの偉人達を輩出している萩に改めて感服しました。
そして午後は移動しました。
着いた先は
横浜の英一番館跡です。
ここは外国商社としての
第一番目の建物があったことから名付けられています。
その商社は
ジャーディン・マセソン商会です。
長州藩に西洋の最先端の武器を売った会社であります。
これによって、幕末の力関係が大きく変わって行きました。。。
また、長州ファイブの密航を支援し、
船に乗ったのもこの辺りだそうです。
最後に訪れたのは、
旧伊藤博文金沢別邸です。
平成21年に復元したものです。
当時から金沢のあたりは風光明媚な場所で
特に夏は避暑地的な場所として、多くの著名人達が
ここに別荘を建てたそうです。
今回訪れたのは冬だったので、
なかなかの寒さでしたが、
建物の床暖がありがたかったです。。。
以上、ざっくり解説付きで
今回のツアーで巡った場所を紹介させていただきました。
機会あれば、是非足を運んで見てください。
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