【親子で学ぶ3分偉人伝】 第四回 二宮金次郎の子供時代
今日の親子で学ぶ3分偉人伝は
「二宮金次郎」です。
二宮金次郎と言えば、
本を読みながら薪を背負って歩く
あの銅像ではないでしょうか?
今もアレは小学校にあるんでしょうかね。
僕の小学生時は
美術室か理科室かなんかの
ベランダの隅に追いやられていていた
のを覚えています。
その銅像は先生からそれが一体何なのか語られることもなく
当時流行った「映画 学校の怪談」で金次郎の持っている
本のページがめくれるシーンがあったり
僕にとって金次郎の銅像は謎と恐怖に満ち溢れていました。
大人になって気がつきましたが、
二宮金次郎はただの読書家の少年ではありません。
現代風に言えば、
生涯に渡り600を越える街や村の
再生や復興に関わりました。
農業の知識はもちろん、
財務に関してや人の扱い方など
多方面に渡ってリーダーシップを発揮しました。
今回はその二宮金次郎がいかにして
偉大な人物になったのか
そのベースとなる「幼少期」に迫ります。
今回も最後の部分には、
お子さんとディスカッションできるコーナーを
設けていますので、
そちらもチャレンジしてみてください。
では、始まり始まり~。
二宮金次郎の誕生
むかしむかし、それは いま から
230ねん くらい まえ の おはなし です。
いま の かながわけん の
小田原(おだわら) という まち で
二宮金次郎(にのみやきんじろう)という
おとこのこ は うまれました。
ちず で みる とここです。↓
金次郎の おうちは、小田原に
おおきな たんぼ を もっていたので
おこめ を そだてていました。
おとうさん の 利左衛門(りざえもん)さん は
とても ほん を よむ ことが すき で 、
金次郎に ためになる ほん を
たくさん よみ きかせてくれました。
おかあさん も とっても やさしい ひと で、
金次郎は おかあさん のこと が だいすき でした。
おとうと も ふたり いました。
金次郎は かぞく 4にん で
しあわせな せいかつ を おくっていました。
台風直撃
そんなあるひ、ものすごい いきおい の
たいふう が まち を おそいました。
金次郎は たいふう が すぎさった あと、
そと に でてみました。
すると ちかく を ながれる
酒匂川(さかわがわ)から かわ の みず が
あふれだし、その まわり に あった たんぼ も
びしゃびしゃ に なってしまいました。
これ では おこめ が そだちません。
そこで 利左衛門さんは、
まち の ひとたち と きょうりょく して、
また おこめ が そだつ たんぼ にしようと
いっしょうけんめい に はたらきました。
たんぼ が なくなって こまっている ひと には、
じぶん の おかね を だして、
たすけて あげたりもしました。
しかし、利左衛門さんは はたらきすぎ で
ついには びょうき になってしまいました。
そのとき、おとうさんの 利左衛門さんの
かわりに はたらき はじめたのが、
12さい の 金次郎でした。
金次郎は おとな の ひと に まざって、
いっしょうけんめい はたらきました。
おもいもの も たくさん もちました。
でも、金次郎は まだまだ こどもなので、
おとなのひと と おなじように
おもいものを たくさん もって はたらけません。
そこで 金次郎は かんがえました。
「こども の ぼくが、おとな の ひと の
やく にたてる ほうほう はないだろうか?」(※1)
「そうだ。みんなのために
草鞋(わらじ)を なおしてあげよう。」
金次郎は たくさん はたらく おとなたち の 草鞋が、
ボロボロ に なっているのに きがついたのでした。
その ひ から、ひるま は おとな と
おなじように はたらき、いえ に かえった あと は
ねるま を おしん で おとなたち の ために
草鞋を なおす ひ が はじまりました。
金次郎は おとなたち に
たくさん かんしゃ されました。
金次郎は とても うれしい きもち になりました。
しかし、
ざんねんなこと が おこってしまいます。
びょうき を していた おとうさんの利左衛門さんが
しんでしまったのです。
金次郎の はなし は、まだまだ つづきますが、
きょうは ここまでです。
じかいをおたのしみにー。
お子さんと話し合ってみましょう!のコーナー
※1 大人の人の役に立つ方法はどんなものがあるだろうか?
例)
・料理を作ってくれたお母さんのために洗い物をする
・仕事で疲れたお父さんの肩もみをする
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