【親子で学ぶ3分偉人伝】 第九回 中江藤樹 父母との別れ
今日の親子で学ぶ3分偉人伝は
「中江藤樹」です。
「近江商人」という言葉は、
聞いたことありますか?
戦国大名であった蒲生氏郷が、
経済振興策を講じたことにより
この地域で多くの商人が生まれたことから
呼ばれるようになった言葉です。
布団の西川で有名な「西川産業」も
江戸を起源とする近江商人から生まれました。
今回ご紹介する中江藤樹は
「近江商人」に対して、
「近江聖人」と呼ばれました。
江戸時代の初期には画期的であった
身分を越えた教育を実践していった人物です。
そして、これが後に
上杉鷹山、吉田松陰、西郷隆盛
と言った改革者達の思想に
影響していったといわれています。
そんな藤樹の生き様を
まずは幼少期から辿っていきます。
では、始まり始まり~。
藤樹の故郷
むかしむかし、
それは いま から 400ねん
いじょう の おはなし です。
400年くらい まえ というと、
江戸時代(えどじだい)の はじまりです。
このじだいは、まだ、
あらそい ばかり を していた
戦国時代(せんごくじだい)が
おわったばかりのころでした。
ですので、また あらそいが
おこる かもしれない
ふあんな じだい でした。
しがけん の 小川村(おがわむら)
という まち で 中江藤樹(なかえとうじゅ)
という おとこのこ は うまれました。
ちず で みるとココです。↓
藤樹の おとうさんは、
徳右衛門(とくえもん)さん、
おかあさんは市(いち)さんです。
徳右衛門さんは、おさむらいでしたが、
あらそい あうことが いや になり、
おさむらいさんをやめて、
おひゃくしょうさんになりました。
市さんは、徳右衛門さんが
おさむらい の ときも、ひゃくしょう に
なっても、うしろ から そっと ささえる
やさしくて、つよい ひと です。
徳右衛門さんには、
いまも おさむらい を している
おとうさん がいます。
藤樹からすると おじいさんで、
なまえ を徳左衛門(とくざえもん)
といいました。
そのころ 徳左衛門おじいさんは
こまっていました。
なぜなら、じぶん の あとをつぐ はずの
徳右衛門さんが おさむらい を やめて、
おひゃくしょう になってしまったからです。
このままでは、
いま おとのさま に つかえて
やっている しごと を
やってくれる ひと がいません。
そこで、おもいついたのが 藤樹を
じぶん の あととり にして、
りっぱな おさむらい に
そだてることでした。
徳左衛門おじいさんは
小川村から とおく はなれた
米子(よなご)という ところで
おさむらい の しごと をしていました。
なので、藤樹も いっしょ に
ひっこし を しなければいけません。
米子は ここです↓
お父さん、お母さんとの別れ
このとき、
藤樹は まだ 9さい です。
9さい で おとうさん、おかあさんと、
はなればなれです。
むかし なので、
でんしゃ も、くるまも ありません。
いちど はなれたら しばらくは
おとうさん、おかあさんに
あうこと が できません。
おとうさん、おかあさんも
藤樹と おわかれするのは
とても かなしいです。
しかし、徳左衛門おじいさんの
いうことなので、しかたありません。
こうして、米子へ
徳左衛門おじいさんと
いくことに なった 藤樹ですが、
とても りっぱでした。
おとうさんと おかあさんに
おわかれしたことに
メソメソしませんでした。
いっしょうけんめい
徳左衛門おじいさんの
おてつだいをし、
べんきょうも たくさんしました。※1
きょう の おはなしは ここまでです。
じかいは、
藤樹が どんな べんきょうをして、
りっぱな おさむらいさんに
なっていったのかを おはなしします。
では、おたのしみに~。
お子さんと話し合ってみましょう!のコーナー
※1 藤樹は、お父さんとお母さんと離れ離れになってもメソメソしないかな?
例)
・一人で近くのスーパーまで、お遣いに行けるかな?
・一人でお留守番できるかな?
・お父さん、お母さんなしで、おじいちゃん、おばあちゃんの家にお泊まりできるかな?