お江戸の学校

江戸検1級を取って学んだ「江戸の歩き方」「偉人達の生き様」を紹介します。歴史好きはもちろん、歴史が苦手な人にも楽しくわかりやすくお伝えします。

グレてしまった徳川の息子達

こんにちは。

お江戸夫の大輔です。

今回は徳川家という高潔な血筋を
持ちながらも(持つが故?)
身を崩してしまった人物を紹介します。

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まずは徳川家康の六男忠輝(ただてる)。
忠輝は母親の身分が卑しかったせいか
(容姿が醜かったせいともいわれる)
捨て子として扱われた人物です。

一時は越後高田藩主にまで登り詰めますが、
大坂の陣で家康により冷遇された事に反発し、
以後面会を許されず、兄秀忠に改易され果てました。

次は家康の次男秀康の長男忠直。
秀康が隠し子と言うこともあり徳川姓ではなく
松平姓を名乗った忠直。

秀康の功績もあり越前75万石を相続し、
忠直は大坂の陣でも真田幸村を討ち取る武功を
挙げる活躍をしました。

忠直はこれに対する褒賞として
大阪城』を望みましたが、
これ以上の勢力拡大は徳川幕府の脅威として
その望みは取り下げられました。

これを忠直は不当な扱いと感じ、
江戸への参勤を怠るなど乱行が目立ち始め、
秀忠に隠居を命じられてしまいました。

そして、最後は家光の弟忠長。
幼少期は容姿端麗・才気煥発で家光よりも
期待された存在でしたが時代には
逆らえませんでした。

次期将軍を諦めた後は
駿河に帰国しましたが乱行が目立つようになり
改易、領地没収され身を崩しました。

残念な人生を歩んだ3名を取り上げたので
あまり明るい記事ではありませんでした…。
すみません。

ただ、実例として親や兄弟から
十分に愛情を受けられなかった人は
身を崩しがちと言うことがわかります。

今人生がうまくいっていないと思う人は
是非親や兄弟との関係を
是非振り返ってみてください。

子供がいる人やこれから産まれる人は
是非子供との関係を大切にしてください。