2018-06-14 不浄門から生きて出た者 江戸文化歴史検定関連 こんにちは。お江戸俥夫の大輔です。大手門、半蔵門、坂下門、桜田門などなど天下の江戸城には様々な門があります。その中で通称『不浄門(ふじょうもん)』と呼ばれ、死者や罪人を城から出す門がありました。その門は『平川門』です。将軍様の居場所である江戸城内で罪を犯すなど不届き千万!罪人が生きて城に出れる者も少なかったと言われています。その中でも、江戸時代にこの平川門から生きて江戸城を出た罪人が2人います。1人は正徳4(1714)年に山村座の役者生島新五郎との密通の罪で信濃の高遠に流刑となった大奥年寄『江島』です。もう1人は赤穂事件で吉良上野介に斬りかかった赤穂藩主『浅野内匠頭』です。どちらも不名誉かもしれませんが、江戸時代のビッグニュースに関わった人物です。