2018-06-15 武士の美学『殉死』 江戸文化歴史検定関連 こんにちは。お江戸俥夫の大輔です。主君に忠誠を誓う武士の美学の一つに『殉死(じゅんし)』があります。主君が亡くなった後を追って、自分も切腹して果てることです。有名なものを挙げると…熊本藩主細川忠利(ただとし)が亡くなった際に19名が、佐賀藩主鍋島勝茂の時には26名が殉死しています。そんなに殉死されたら藩もたまったものではなかったでしょう…。幕府でも殉死はありました。二代将軍秀忠が亡くなった時に、老中森川重俊(しげとし)が、三代将軍家光の時には老中堀田正盛と阿部重次が殉死しています。しかし、4代家綱の時代になると殉死の弊害の大きさから『殉死禁止令』が出されて以降は件数はめっきり減りました。この禁止令が武断政治から文治政治への転換期になったとも言えそうですね。命は大切にしましょう!