お江戸の学校

江戸検1級を取って学んだ「江戸の歩き方」「偉人達の生き様」を紹介します。歴史好きはもちろん、歴史が苦手な人にも楽しくわかりやすくお伝えします。

飢饉の中のヒーロー

こんにちは。


お江戸夫の大輔です。

農作物に頼っていた江戸時代、
気候変動や災害による凶作や飢饉が
何度も起こりました。

特に三大飢饉と言われる
享保天明天保の飢饉では
大勢の餓死者を出しました。

しかし、そんな苦境の中、
利他の精神を貫き
後世に名を残した人物もいました。

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今回はその中から3人を
紹介します。

1人目は伊予郡筒井村(愛媛県松前町)の
農民『作兵衛』です。

米の収穫がない中、農民たちは
貯えていたわずかな雑穀で飢えを
しのいでいましたが、それも尽きて
餓死する人が続出した時期でした。

そんな中、
作兵衛は冬作麦のために
畑を耕しましたが、
遂に打ち臥してしまいます。

作兵衛が臥してしまったある日、
近所の人が枕元に麦俵があることに気付き、
それを食べるように勧めたそうです。

しかし、作兵衛はそれを食べると
来年食べるものがなくなってしまう
と言って最後まで手を付けませんでした。

作兵衛は餓死しますが、
自分の命よりも多くの人を救おうとした
この話は広く伝わり『義農』として
作兵衛の名前は生き続けました。

2人目は、出羽国尾花沢の代官
『大貫次右衛門』です。

次右衛門は天保の飢饉の際、
村を自分の目で見て回り、
年貢の減免を行い、
庄内藩から米を借り窮民に分け与えました。

『佐藤助右衛門』です。

助右衛門も天保の飢饉の際に
活躍した人物です。

松皮餅も大量に作らせて窮民に与えたり、
ポケットマネーで他藩から米を買い入れたり、
救済資金を確保するための組織を結成したり、
しました。

平常時に人に優しくできる人は沢山いますが、
緊急時に自分も苦しい時に人に
優しくできる人って結構少ないと思います。

でもそこが本当の『人間力』だったりします。
もっと自分自身を磨いていかなきゃな
と思う今日この頃です。