江戸まで名を轟かせた京美人
こんにちは。
お江戸俥夫の大輔です。
18世紀中期、江戸の女性の間では
『櫛まき』という髪型が流行っていました。
この髪型は浅草寺境内にあった
髪結の湊屋お六という者が
京都祇園の茶屋女主人『梶(かじ)』の髪型を
参考にしたと言われています。
梶はその美貌だけではなく、
歌集を出版するほどの和歌好きで
祇園の才女として、その名を関東にまで
轟かすほどの女性でした。
京都の才女として名高い『祇園三女』は
この梶をキッカケに生まれました。
次に話題をさらったのが
梶の養女の『百合(ゆり)』です。
百合も美貌と和歌に秀で、
何よりも『字が綺麗』でした。
そのため百合が書いた短冊は
京土産として珍重されたそうです。
そして百合の娘『町』が生まれます。
町も同じく美人茶屋娘として評判になった後、有名画家『池大雅』の妻になりました。
町は池大雅から画を学び
号を『玉蘭(ぎょくらん)』として、
その才能を開花させていきます。
江戸では『笠森お仙』という町娘が
有名でしたが、京都でいえば
梶・百合・町の三女が有名な町娘でした。
美貌だけじゃなく、
芸の才能もお持ちなんて羨ましいです。