将軍になれなかった男
こんにちは。
お江戸俥夫の大輔です。
将軍になれた人もいれば
なれなかった人もいる。
将軍になれて良かったこともあれば、
なれなくて良かったこともあるかもしれない。
今回は将軍家の血統を持ちながら
『将軍になれなかった男』を書きます。
その男の名は『松平清武』。
あまり聞き覚えがないかもしれません。
綱重は三代将軍家光の三男で
兄は四代将軍家綱で弟に五代将軍の綱吉が
います。
さらに、清武の兄には
六代将軍の家宣がいます。
血統としては申し分ないです。
そして、七代家継の相続問題に揺れる時期に
本来なら清武が選ばれる予定でした。
しかし、すでに54歳という高齢で嫡子も
いなかったこと、養子に出された身で
あることが主な理由で結局紀州徳川家の吉宗が
八代目将軍に選ばれました。
当時藩財政が逼迫していたという状況も
ありますが、5万4千石の館林藩主にまで
登り詰めた清武の心情はいかがなもの
だったのでしょうか?
藩財政をまずは立て直さなければという
使命感に駆られていたのか?
将軍になるというこれ以上の責任を
背負いたくなかったのか?
今以上に望むものはなかったのか?
今は誰もわかりません。